まずはプロフィール

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1971年  1月 兵庫県安富郡安富町にて岡山県産の両親から出産する

1975年   父親の転勤により、千葉県に引っ越す。

       

幼稚園のころから、度々家によく遊びに来ていた野良猫を、部屋に連れ込んでは、一緒に寝ていた。しかし、相手は野良猫、夜中になると、にゃーにゃー騒ぎ出し、両親にもばれ、えらい怒られる。しかし、それにもめげず、その後も、同じことを繰り返し、その度に叱られててばかりいた。

そんなことを繰り返すうちに、ある夜、押入れの中でこっそり飼っていた野良猫が、(この子は、最初の子とは違う子で、いつの間にか自分の部屋に住みついていた。)なんと朝起きてみると、びっくり、血まみれの布団の上にいるではないか。なんだか、たくさんの鳴き声がしている。よく見ると子猫がいるではないか。そう、彼女は押入れの中で、子猫を生んでいたのだ。

これにはさすがに両親も、あきれて何もいえなかった。

この頃にはその他にも、亀、ザリガニ、カブトムシ、コオロギ、鈴虫、インコ、ウズラ、ありとあらゆるものを捕まえてきては、飼っていた。(亀は、近くの川から、インコは家に飛んできた、今では考えられないが、ウズラは近くの野原にいたのを父親が作った鳥捕獲用の仕掛けで、捕まえた)唯一救いだったのは、まんざら動物が嫌いでなかった両親だった為、(というより好きだったようだ。)鳥小屋を作ってくれたり、一緒に虫取りに行ってくれたりしていた。

ある時、朝起きると、ぐったりしているインコを見つけた父親が、インコの病気を治してくれたこともあった。(ちなみに父親は普通のサラリーマン。獣医ではない)

これを見た時の感動というか、思い出は、今でも鮮明に憶えている。

ちょうどこの時から、将来は獣医になりたいと思うようになっていた。

小学校2年生の学校の帰り道、田んぼのホトリに捨てられている、1匹の黒い子犬と出会う。

これまでにも度々子犬や子猫を拾ってきては、親に叱られ続けていたが、さすがに私の動物バカにあきれた両親は、この時は初めて何も言わなかった。

これが初めての犬との生活の始まり。

それは柴犬に似た、そう、まるで黒柴そっくりだった。(今から思えば、柴犬の雑種か、もしくは本当の柴犬だったのかもしれない)

当時の私は、きっとシェパードの子犬に違いないと、ずっと思っていた。

彼女が成犬になってからも・・・

(ちょうどこの頃、刑事犬カール というドラマに夢中になっていた)

そんな彼女も2歳になった頃だと思う。

ある朝、母親が、大騒ぎしながら、私の部屋に入ってきた。

母親に連れられ、外で飼っているジョンの元へ行ってみると、な、なんと、8匹もの子犬を出産していたのだ。当時はまだ家の中で犬を飼うという習慣が今のようにはなかった為,外で飼っているジョンにも、そろそろ避妊手術をしようかといっていた矢先のことだった。

今から考えると、昔の?犬はすごい。離乳の頃になると、自分の食べたものを吐き出し、それを子犬たちに与えていた。はっきり言ってこんなに小さな子犬を育てたことなどない私たち家族はとにかく彼女に全てを任せるしかなかった。

すっかり大きくなった彼女の子供たち(8頭すべての子供を立派に育て上げていた)だったが、そこからが私たちの仕事だった。今のようにミニコミ誌などなかった当時は、ご近所さんに片っ端から声をかけ、飼い主さん探しを始めた。雑種犬を飼うことが当たり前だったこともあり、あっという間にうわさは広がり、1週間で、全ての飼い主さんが決まった。  

1989年         地元の高校を卒業

     全ての獣医学部の大学に落選した私は、この年から一年間の浪人生活が始ま     る。

 それと共に、親元を離れ、晴れて夢の一人暮らしの始まり。

1990年         やはりこの年も、獣医学部の受験に失敗(とにかく数学がだめだった)

これ以上の浪人は難しいと考え念のため受験していた、数学の必要のない文系学部の大学へ進学することを決意。

同年4月 法政大学 文学部 入学

この大学生活で、私の人生で最高の友人たちと出会う。

もともと獣医になりたいと思い続けていた私は、ここでも、動物に関わることができるものを、探していた。

それはすぐに見つけることができた。

運良くというか、この学校には、馬術部があったのである。

よく、馬に乗っているというと、乗馬?と聞かれるが、乗馬部(Horse Riding Team) ではなくEquestrian Team である。

当時の私は、学校へはほとんど行かず、毎日馬との生活に明け暮れていた。

自分のアパートへ帰るのも、週に1回程度、もっぱら厩舎での生活が続いた。

そこでの生活は獣医になりたかった私にとって、また動物好きな私にとっては
まさに天国だった。

毎日、好きな馬に乗り、ウンコ取りから、馬の手入れ、そして、なぜかそこにいついていた、3本足の犬「サン」と、ゴマ柄の犬「ゴマ」の世話に明け暮れていた。

時には、馬が怪我をしたり、病気になることもあり、その時には、担当の獣医の指導を受けていた私たちは、注射をしたり、治療をしたり、点滴をしたり。

そんな時には、まさに獣医さながらだった。

そんな生活が約3年間続き、その中で、いつの間にか自分の馬乗りとしての技術も上がっていった。

そして、4年目には、とうとう、全日本の学生の大会に出場できるまでになっていたのである。もちろんこれには、関東の予選が事前に行われ、その中で、選ばれたものだけが参加できる大会である。

残念ながら、10年以上経った今では、お金を払って、決められた時間内でしか乗れない乗馬クラブでは、さすがに馬に乗ろうという気にはなれないが、いずれ、もし余裕なお金が出来れば、自分の馬を買って、好きなときに好きなだけ楽しみたいという夢は持っている。

その後は普通に就職活動をし、普通のサラリーマン生活を送ることになる。

2000年2月
       前年の12月に籍を入れていたが、仕事が多忙だった為結婚式を挙げる時間もな    く3ヶ月遅れでの結婚式を行う


2001年2月 
       最愛の娘が生まれる。

こんなにもすばらしい天使を私の元へ授けていただいたことを、今でも神に感謝している。

まさしくエンジェルとは、彼女の為にある言葉だと思っている。

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